ぶらりひとり旅。そして広島で思ったこと | あきらです

あきらです

にゃは~

旅の空からこんばんは。

東京帰るついでに、ぶらりひとり旅。

あの地震があったその日、18きっぷで四国を周る旅に出たんです。

が、何となく気が変わって、京都で電車を降り、ホテルにチェックインの手続き中、揺れたんですよね。

ネットで情報収集して、どうやらうちの周辺で大きな火事とかはなかったようで少しは安心したけど、家の中がむちゃくちゃになった、だとか、窓ガラスが割れた、だとかいう人もいたので、それが心配で一回家に帰りました。

物が何個かおっこってたくらいで、全然大丈夫だったわけですが(笑)

なので、その旅を今こそ!

1日目 鹿児島→新幹線→福岡
2日目 福岡→広島
3日目 広島→香川

今日は香川入りしたわけですが、移動だけで終わってしまった。
高松城を眺めて、うどんを食べた。


広島は、宮島と原爆資料館へ。

宮島は、昔の里の暮らしはこういう風景の中で営まれていたんだろうなー、と思うような、素敵な景色でした。

行った時はたまたま引き潮で、大鳥居まで歩いて行って触ってきました。

にぎり天おいしかった。

鹿かわいかった。


そして、原爆資料館。

東北のすさまじい光景を、どうしたって思い出してしまいます。

焼け野原になった広島の市街地の写真は、津波で全てをさらわれた東北の街と言われても信じてしまいそうでした。

そして福島原発の事故。

悲惨さとか、原爆に対する怒りとかよりも、

こんなに原爆に反対し、そのむごさを訴えてきた広島、長崎のこの声は、国内にさえ届いていなかったのか。

時間が経って、風化してしまったのか。

経済発展のために、生活を便利に豊かにするために、耳を塞いでしまったのか。

事故のせいで声がかき消されてしまったような、そんな空しさや、哀しみが残りました。


No more Hiroshimaと訴えてきた同じ国で、こんな事故が起こってしまうとは…。

地震が天罰だとは思わない。

でも、原発の事故は、核の恐ろしさを置き去りにしようとする日本への警告なのかも…と考えてしまいました。

事故自体は想定外の大津波が来たということで、(それも対策が手ぬるいという意見もありますが)しょうがない。

しかし、その後の対応とか、情報をなかなか開示しないやり方だとか、どうして屋内退避や自主避難ですませているのか、とか、全然誠実さが感じられない。

厳重な管理が必要な核の扱いを、ないがしろにしてますよ。

国民に対して、誠実に対応しようとも思ってないですよ。

国民に対してだけでなく、世界に対しても、結局全然誠実じゃない。

現場の人たちの頑張りだって報われない。

これでいいんですか。

と、教えてくれたように思います。

実際に何か起こらないと、なかなか真剣には考えないもんな。

自分を振り返ってみても、一時期、原発について考えてた時期はありました。

あんな危険なものを建てる必要があるのか。

でも、この事故があるまで、考えていたことさえ忘れていました。

日本の売りは、誠実で精密で正確で安全であること、だったと思います。

これから、それらのイメージを回復するには、そうとう時間もかかるし、努力しなければ。


それにしても、本当に昔の人は小さかったんですね。

被曝した女学生の服などが展示してあったのですが、小学生の服かと思った。

そして、広島と鹿児島町並みは似てるねー。

路面電車も走っているし、街中を川が流れているし。



今日は香川入り。

岡山からマリンライナーに乗って瀬戸内海を渡りました。


もう、すっごい素敵でした!!!

小さな島を渡っていくんですが、もうねー、その島々のひとつひとつに1カ月ずつ住みたい。

島の中にいけす?みたいなおおきな池がある島。

小さな灯台と、小さな港、そこに一隻船がつないである島。

てっぺんにお寺、そばに色んな野菜が植わっている畑、桜と菜の花が咲いている島。

まるで秘密基地みたいな、紅の豚に出てきたみたいな島がいっぱいありました。


明日からまるでノープランなんですが(笑)
どこ行こうかな。
島行ってこんぴらさんにお参りして、と考えたらもう一泊しなきゃ無理そうだな。