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あきらです

にゃは~

ここ1年ほど、星占いに興味があってたまに本を読んだり、占ってもらったりしています。

星占いって、エンターテイメントとしかとらえてなかったのですが、

色々な星占い師さんの考え方とか知ると、なかなか面白いものがあります。

興味を持ったきっかけは、石井ゆかりさん。


それから、他の占い師さんのサイトを見たり、実際占ってもらいに行ったりしたのですが、


人によって解釈が違う。

どうしてそういうことになるの?

と思って、占いの基本的なものをちょっとお勉強。

私は水瓶座なのだが、山羊座の色もたっぷり含んでいる。

ある人の解釈では、水瓶座でしっくりくる。

ある人の解釈では、山羊座でしっくりくる。

時期によっても、

ある人の解釈がどんぴしゃりな時もあり、

別な人の解釈に納得がいく場合もある。


見方によって、こんなにも世界が変わるのか。

というところが面白くてたまりません。

そして、自分の状態によっても、当然ながら受け止め方が違うわけです。

納得できなきゃ、他の解釈を求めるわけです。

つまりは、自分が望む答えを探しているわけです。

ってことは、答えなんて自分の中にあるわけです。

自己分析ツールとして、意外と使える!

白紙に向かって、

「自分の長所を書きなさい」

と言われてとっさに出てこなくても、

「水瓶座のあなたはこんな人じゃないですか?こういういいところがありますよ!」

とモデルを提示されたら、

自分はこんな人じゃない、だとか、こういうところはあるかも、じゃあこれは長所と言えるかな、とか、比較してみたら自分をあぶり出しやすい。


あとは、体調管理とか。気分が乗らない時の対処法とか。



どっぷりはまって信じ切っちゃうとちょっとアブナイ人かもしれないけれども、

ロールシャッハテストみたいなもんだと思えば、ちょっと違うかも知んないけど、なかなか楽しいです。

自分で解釈できたら楽しいけど、自分一人でやると、どうしても凝り固まってきちゃうので、色んな人の解釈を聴けたら面白い。

まあ、おおざっぱな星座別の占いでなく、個人の占いをしてもらうには、それなりのお代金がかかってしまうので、頻繁にはいけないけど。


星占いを読む上で、
「シンクロ」
ってのがキーワードなのかな、と思います。

たまーに、体調チェックみたいな感じに誰かの占いを読んでみたり、自分で解釈してみたりすると、いまこういう状態なんだな、って、はっきりすっきりしたりしなかったりどっちだ(笑)


同じ出生時間の人に、生活とか性格とかアンケート取ったら面白そうだな。





何となく始めたら、引っ越して以来の大移動になってしまった。

右の棚を左に移動し、左の引き出しを右に移動し、

ホットカーペットをしまうか、出しっぱなしにして上にイ草のカーペットをさらに被せるか悩み、

ついでにみっちり詰まったCDを仕分けして4分の1を売ることに。

封を開けてないCDが何枚も出てきた。




どうにも邪魔だった布団をどうにかできないか、ずーーーーっと気になっていて、

しまうところがないから出しっぱなしで、みっともないから綺麗な布とか被せてたのだが

布って綺麗にぴっちりかけとかないと、結局ごちゃごちゃだらしない感じになってしまう。

出しっぱなしでも邪魔にならないレイアウトにするしかない。

でも布団を敷きっぱなしは抵抗ある。

ベッドを入れる余裕はない。

んで、すのこベッドなる、薄べったい畳めるやつを買ってみた。

で、試しにちょこっと替えてみよう、と思ったら、あれ、ちょっと寸法が足りない、じゃあこれをあっちに動かして、そしたらこれが使いづらい、しょーがねーなー、これはあそこに置くか?

こうなるともうこの狭い部屋、パズル大作戦になるわけです。

どうにか収まったけども、布団出しっぱなしって生活感丸出しでやっぱり気に入らない。

これから毎日、布団を眺めながらご飯を食べるのかw


うーん、もう疲れたのでしばらくこれで生活。


それにしても暑くなってきたな。

窓閉めたら、ほてってきた。







あきらです

にょきーーーん!

買ってきたネギの根っこを植えてみました。


あきらです

すくすく伸びてかわいいのだ。

ちっこい芽も次々出てきてかわいいのだ。

今日は肥料をあげてみた。

鉢がもういっこあるから、バジルも植えてみようかな。

星占いとワークショップを組み合わせた催しに行ってきました。

私、ガチガチに凝り固まってたんだなあ。

そう思いました。

心の土に、栄養とか水とかあげる前に、まず耕さないといけないんだった。


土がガチガチに固まってちゃ、芽が出ても成長できない。

耕すことが必要だということは分かっていたけれど、肝心の耕す意味を分かっていなかった。

そして、素直になる、ってことがどういうことか、も分かっていなかった。

とりあえずやってみる。

それも分かっていなかった。

ガチガチのままでやってみても効果は薄いんだよなあ。


この耕された状態を維持して、種をまかないとね。

自分で耕さなきゃね。

自分を管理するということも分かっていなかった。

自分をコントロールしていると思っていたけど、そうじゃなかった。

色んな本を読んだり、人の話を聞いたり、分かってるつもりのことが、何一つしみ込んでいなかった。


面白いなあ。

行ってよかった。

もう6月ですか。
暑いんだか寒いんだか、今年の夏は天候不順なのかな。
暑いって話ですけど。
勘弁してくれ。
せっかくエアコンもクリーニングしてもらったのに、節電とかさ…今までほとんどエアコン使わないで生きてきたのに、今年くらいはちょっぴり贅沢に使っちゃおうかなー、って思ってたのに、残念だわー…

節電の影響で東京は逆に気温下がったりしないかしら。そこまではないか。

でも向うでは未だに水の出ない地域があったり、給食もおかずがなかったり、まだまだ大変なんだよね。
一回食材送ったけど、普通に次の日に届いたみたいなので、もうちょっと日持ちを考えなくてもいいものも送れそう。


苺が安かったので苺祭り。

生でそのまま、とか、苺ジャム、とか、もうおっつかないので


くっくぱっど様でレシピを探してクラフティとか、
あきらです


キウイとフルーツポンチにして、それをそのままゼリーにしちゃったりとか
あきらです
このゼリーはぶどうサワーで作ったのでしゅわしゅわして爽やか。でも酔っぱらう(笑)

初めて作るものって楽しいねー。

できはともかく(笑)
いや、ちゃんとおいしいけど、もっと丁寧に!っていうね。



エゴイスト/浅田 マコト

¥1,365
Amazon.co.jp

とある人がお勧めしていたので、借りてみました。

これは、許しと浄化のお話ですね。

こんな風に、きちんとやりなおせることができたら、幸せだなあと思います。

主人公は色々思うところがあるけれど、私から見たら全然きちんとやることをやっていて、思いやりがあって、エゴイストなんかじゃない。

でも、一方で、そんな自分をエゴイストだという気持ちも、よく分かる。

裏と表があるんだ。

出てくる人はみんなみんな優しい気持ちをきちんと持っている人ばかりで、こんな話を書いた浅田さんは、こんなやさしい世界に生きているのか、世界がこんなに優しく見えるのか、こんな世界であって欲しいと願っているのか。

こんなやり方でいいのか、と迷いつつも、自分が出来る最善をやろうとする主人公は素敵だと思います。

涙と鼻水でぐじゅぐじゅになりつつ、自分を許せもせず、許せるよう行動も起こさず、漫然と毎日を無駄にしている我が身を振り返りつつ。

「そこ」じゃなくて「ここ」を大切にしなさい。

この本を読む前に、たまたま目にしたネイティヴアメリカンの言葉を思い返しつつ。
旅の空からこんばんは。

東京帰るついでに、ぶらりひとり旅。

あの地震があったその日、18きっぷで四国を周る旅に出たんです。

が、何となく気が変わって、京都で電車を降り、ホテルにチェックインの手続き中、揺れたんですよね。

ネットで情報収集して、どうやらうちの周辺で大きな火事とかはなかったようで少しは安心したけど、家の中がむちゃくちゃになった、だとか、窓ガラスが割れた、だとかいう人もいたので、それが心配で一回家に帰りました。

物が何個かおっこってたくらいで、全然大丈夫だったわけですが(笑)

なので、その旅を今こそ!

1日目 鹿児島→新幹線→福岡
2日目 福岡→広島
3日目 広島→香川

今日は香川入りしたわけですが、移動だけで終わってしまった。
高松城を眺めて、うどんを食べた。


広島は、宮島と原爆資料館へ。

宮島は、昔の里の暮らしはこういう風景の中で営まれていたんだろうなー、と思うような、素敵な景色でした。

行った時はたまたま引き潮で、大鳥居まで歩いて行って触ってきました。

にぎり天おいしかった。

鹿かわいかった。


そして、原爆資料館。

東北のすさまじい光景を、どうしたって思い出してしまいます。

焼け野原になった広島の市街地の写真は、津波で全てをさらわれた東北の街と言われても信じてしまいそうでした。

そして福島原発の事故。

悲惨さとか、原爆に対する怒りとかよりも、

こんなに原爆に反対し、そのむごさを訴えてきた広島、長崎のこの声は、国内にさえ届いていなかったのか。

時間が経って、風化してしまったのか。

経済発展のために、生活を便利に豊かにするために、耳を塞いでしまったのか。

事故のせいで声がかき消されてしまったような、そんな空しさや、哀しみが残りました。


No more Hiroshimaと訴えてきた同じ国で、こんな事故が起こってしまうとは…。

地震が天罰だとは思わない。

でも、原発の事故は、核の恐ろしさを置き去りにしようとする日本への警告なのかも…と考えてしまいました。

事故自体は想定外の大津波が来たということで、(それも対策が手ぬるいという意見もありますが)しょうがない。

しかし、その後の対応とか、情報をなかなか開示しないやり方だとか、どうして屋内退避や自主避難ですませているのか、とか、全然誠実さが感じられない。

厳重な管理が必要な核の扱いを、ないがしろにしてますよ。

国民に対して、誠実に対応しようとも思ってないですよ。

国民に対してだけでなく、世界に対しても、結局全然誠実じゃない。

現場の人たちの頑張りだって報われない。

これでいいんですか。

と、教えてくれたように思います。

実際に何か起こらないと、なかなか真剣には考えないもんな。

自分を振り返ってみても、一時期、原発について考えてた時期はありました。

あんな危険なものを建てる必要があるのか。

でも、この事故があるまで、考えていたことさえ忘れていました。

日本の売りは、誠実で精密で正確で安全であること、だったと思います。

これから、それらのイメージを回復するには、そうとう時間もかかるし、努力しなければ。


それにしても、本当に昔の人は小さかったんですね。

被曝した女学生の服などが展示してあったのですが、小学生の服かと思った。

そして、広島と鹿児島町並みは似てるねー。

路面電車も走っているし、街中を川が流れているし。



今日は香川入り。

岡山からマリンライナーに乗って瀬戸内海を渡りました。


もう、すっごい素敵でした!!!

小さな島を渡っていくんですが、もうねー、その島々のひとつひとつに1カ月ずつ住みたい。

島の中にいけす?みたいなおおきな池がある島。

小さな灯台と、小さな港、そこに一隻船がつないである島。

てっぺんにお寺、そばに色んな野菜が植わっている畑、桜と菜の花が咲いている島。

まるで秘密基地みたいな、紅の豚に出てきたみたいな島がいっぱいありました。


明日からまるでノープランなんですが(笑)
どこ行こうかな。
島行ってこんぴらさんにお参りして、と考えたらもう一泊しなきゃ無理そうだな。







鹿児島に帰ってきました。

福岡でしばらく遊んで、開通したばっかりの新幹線に乗りました。

見事にトンネルばっかりでした(笑)

うーん、これは楽しめない…

切れ切れに見えた田園風景は素敵だったけど。


帰って、弟家族と2年振りのご対面。

姪っ子ちゃんが、一人増えて賑やか。

前回は赤ちゃんだった子が、もう2歳だもんなー。

「お姉ちゃん遊んで!」
「抱っこして!」

うん、もうお姉ちゃんじゃなくておばちゃんだからね…両方の意味でね…(笑)

抱っこしてぐるぐる回ったら、もう一回、もう一回とねだられてへとへとだった。

子供のパワーってすごいな。

懐いてくれて嬉しい。


お姉ちゃんはもの凄く空気読む。親には言いたいこと言ってるみたいだけど、他の人にはわがまま言わない。不憫なくらい気を使ってる。

真ん中の子は、天真爛漫、「ありがとう」「だいしゅき」をしょっちゅう口にする。お姉ちゃんがいいもの持ってても、じっと我慢できる忍耐の子。

末っ子ちゃんはまだ赤ちゃん。おとなしく、私の顔をまじまじと観察していた(笑)


思ったのは、親の気持ちってもの凄く子供に伝わるんだなあということ。
いいことならいいけど、マイナスの感情は気をつけないとなー。



父親の友達とか、お世話になってるおばちゃんとか、何かもうみんなすごいエネルギーで、

ああ、私はこのエネルギーをもらうために帰ってきたんだなあ、と思いました。


一人で家の中にいると、自分しかいないから、エネルギーも考えることも、自分の中にしか向かっていかないもんなー。

地元はやはり人の繋がりが強い。

それが心強くもあり、息苦しくもあり。


離れてみて分かったのは、原発や地震が怖いのではなくて、いや、もちろん怖いけど、東京に閉じ込められるかもしれない、という恐怖の方が強い。

閉所恐怖症だしな。

それは関係あるのか。

でも、そろそろ帰りたい。


そして、西日本は元気です。

福岡も鹿児島も、ちゃんと日常です。

東北も早くそうなりますように。

早く原発事故が終息しますように。

募金するくらいしかできない自分がもどかしい。

モヤモヤは晴れました。

読んでしまった方は不快になったりしたかもしれません。

ごめんなさい。

ですが、書いてよかったです。

やっぱり書いて公にすると、吐き出せた、という気持ちになります。

と同時に、手帳などの自分だけが見るものに書くより、責任を持ってそのことに対応するようになるといいますか、より真剣にそのことを考えるようになります。

人がこれを読んでどう思うだろう。
こういう人だったらこう思うかな。
あんな人だったらこう思うかも。

と、より色んな点からそのことについて考えられるようになるかなあ。

公にしないでそれが出来たらいいんですが、やっぱり何か違う気がする。


おかげで、ああ、あれはこういうことだったのかなあ。

と思え、連絡をし、

皆がちょっとずつ悪かった。

ということで解決。

フラットな気持ちで仲裁役できた。




そして、

「人の言葉はいい方に取りなさい」

という母の言葉を思い出しました。

大事ね。


あとね、鈍感力ね。

大事ね。

私は元々鈍感なので、嫌味を言われても気付かないぼーっとした人間なのですが、

まあ、この年になってくると、色々分かってきますわな。

細かいことに目くじら立てたくないし、穏やかに生きたい。